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五層の天守だったとされる真田の城 沼田城を1/300サイズのペーパークラフトとして再現しました。
<モデラー仕様>
・群馬県沼田市の復元図案から設計した超本格派!ペーパークラフト
・完成サイズ:縦15.0cm 横15.0cm 高13.5cm (実物の1/300スケール)
・作成時間:5〜8時間(個人差があります)
・商品仕様:A4上質紙 6枚(表紙1枚、組立図1枚含む)
協力:沼田市観光協会
上杉氏・後北条氏・武田氏の間で争奪戦となった城!
■沼田城は現在の群馬県沼田市西倉内町に存在した城であり、利根川と薄根川の交わる東方約1.5kmに位置する。
二つの川によって形成された約70mほど段丘崖上の城である。
沼田は北関東の要衝で、上杉氏・後北条氏・武田氏の間で争奪戦となった。
天正8年(1580)武田勝頼の命により真田昌幸が沼田城を攻略し入場する。
しかし織田氏によって武田家が滅亡となり、沼田城には城代として滝川益重が入ることとなる。
本能寺の変を経て再び真田昌幸が入城するが、その後も争奪戦は繰り返され一時は後北条氏の支配となる。
豊臣秀吉の小田原征伐後、再び真田氏のものとなり天正18年(1590)に昌幸の長男の信幸(之)が沼田領二万七千石で城主となり、慶長2年(1597)には五層の天守を建て5代91年間、真田氏の居城となった。