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世界に誇れる国内最大の現存天守、世界遺産・国宝 姫路城を1/300サイズのペーパークラフトとして再現しました。
<モデラー仕様>
・古図面・実測図・復元図などから設計した超本格派!ペーパークラフト
・完成サイズ:縦18.5cm 横24.4cm 高17.0cm (実物の1/300スケール)
・作成時間:20〜30時間(個人差があります)
・商品仕様:A4上質紙 16枚(表紙1枚、組立図4枚含む)
ユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録!
■姫路城は、姫路市街の北側にある姫山および鷺山を中心に築かれた平山城で、近世城郭の代表的な遺構である。
江戸時代以前に建てられた天守が残っており現存12天守の一つ。1993年(平成5年)にはユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録されている。
姫路城の始まりは、1346年(南朝:正平元年、北朝:貞和2年)の赤松貞範による築城とする説が有力で、当時は砦や館のようなものであった推測される。
城郭としては戦国時代に黒田重隆・職隆父子による築城が最初とも言われている。
戦国時代後期から安土桃山時代にかけて、黒田氏や羽柴氏が城代になり、山陽道上の交通の要衝の地ということもあり本格的な城郭に拡張された。
現在の様な大規模な城郭に拡張されたのは関ヶ原の戦いの後に城主となった池田輝政によるものである。
江戸時代には姫路藩の藩庁となり、西国の外様大名監視のために西国探題が設置された。
江戸幕府にとってはそのような重要な拠点ということもあり、城主がその任を果たせないと見ると次々と藩主を後退させた。
池田氏に始まり本多氏・榊原氏・酒井氏・松平氏が配属され、池田輝政から明治新政府による版籍奉還が行われた時の酒井忠邦まで約270年間、6氏31代が城主を務めた。
明治時代には陸軍が駐屯し、この時に多くの建物が取り壊されたが、陸軍の中村重遠工兵大佐の働きかけによって大小天守群・櫓群などが名古屋城と共に国費によって保存されることとなった。
昭和に入り、太平洋戦争において姫路は2度の空襲被害にあったが、大天守に落ちた焼夷弾が不発弾となる幸運もあり奇跡的に焼失を免れ、現在の大天守をはじめ多くの城郭建築を残している。