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築城技術の粋を結集して築かれた徳川家康の駿府城を1/300サイズのペーパークラフトとして再現しました。
復元 : 三浦正幸(広島大学大学院教授)
<モデラー仕様>
・古図面・実測図・復元図などから設計した超本格派!ペーパークラフト
・完成サイズ:縦12.0cm 横11.3cm 高13.3cm (実物の1/300スケール)
・作成時間:5〜8時間(個人差があります)
・商品仕様:A4上質紙 6枚(表紙1枚、組立図1枚含む)
白亜三層の美しい模擬天守をモデル化!
■徳川家康は慶長10年(1605年)4月16日、将軍職を辞するとともに朝廷に嫡男・秀忠への将軍宣下を行わせ、将軍職は以後「徳川氏が世襲していく」ことを天下に示した。
そして8歳から19歳まで人質として過ごした駿府に居を移した。
家康は隠居城と称し駿府城を築城するが、その天守は徳川の数々の城の中でも別格の豪華で美しい天守であった。
6重7階の日本史上最多重階で、1階と2階には廻縁と高欄が設けられ漆黒の下見板張りの外観、屋根には金属瓦が使用された。
最上重には銅瓦、5重目、4重目、3重目屋根には鉛瓦。軒先には金箔が貼られ、破風は金と銀で飾られていたと伝わる。
駿府城は信長の安土城、秀吉の大坂城に匹敵する豪華な家康の城であった。(ファセットでは日本の三大幻の城と言う)
関ヶ原のあと、西から江戸に向かう豊臣恩顧の大名たちに富士山と並んで駿府城天守を仰ぎ見させ、戦国の時代は終わったのだと悟らせるための家康らしい政治的抑止力の城であったのではないかと推測する。